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説教要旨20/5/31「教会の誕生」

エゼキエル 37:1~14

使徒言行録 2:1~11

 

 今日は復活のイェスを天に送った弟子たちの上に聖霊が降りてきて、様々な国の言葉で神の恵みを語り出させた聖霊降臨日となった。キリスト教の源流になるユダヤ教でも、春の収穫感謝のお祭りなので、教会の誕生は収穫の感謝の時だという言い方もできる。

 

 ただ教会の誕生とは言えても、教会の誕生日とは言えない。誕生日と言う場合には、具体的に名前があるわけで、日本基督教団香櫨園教会なら1963年4月28日と言えるが、今日の場合は、そのような具体的な教会ではないので、教会が誕生したという言い方にしている。

 初めての方が来ておられるので、この教会の紹介を兼ねて話すと、この教会は1963年に夙川を西に越えた芦屋浜教会によって作られた。芦屋浜教会は今の同志社大学の流れに繋がっていく。同志社の流れはアメリカから出た。その前はイギリス(英国国教会)ということになる。それを遡ると大きな意味でイタリア・ローマ(ローマ・カトリック教会)となり、さらに遡ると今のシリアにあるアンティオケア(異邦人教会)、そしてイスラエルのエルサレム(ユダヤ教)となる。このエルサレムで起こった事が、今日読んだ聖霊降臨という不思議な出来事になる。ランバス先生が作った関学の流れもアメリカから来て、基本的には同じ道をたどって聖霊降臨に行きつく。要するに今ある教会すべての源流が今日の出来事から始まったということになる。だから今から約2000年前のこの聖霊降臨の出来事を「教会の誕生」という。

 

 旧約はまるでゾンビ映画のよう。ただ明らかに違うのは、映画のゾンビには魂も知性もないが、聖書では、生き返った人々には神の霊が与えられたことが記されている。これは大きな違いである。人は肉体だけの存在ではないということ、神から与えられる霊によって生かされていることを教えている。

 

 神からの霊は教会だけで与えられるというものではないことは注意しておきたい。みんなにすでに与えられているものである。ただ、その霊の力に気付けない人は多いが、見えない力は、あちこちで働いていると思っておけば良いのである。日本なら教会に足を運ぶこと自体、不思議なことと言えるだろう。そんな力が働いたのがこの聖霊が降りてきて、弟子たちに働いた日と覚えておいてほしい。

森 哲

 

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