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教会と日々の生活

 私は讃美歌が大好きです。讃美歌は歌詞・メロディとも心にしみ入るような素敵な歌が多く、教会の皆さんと一緒に大きな声で讃美歌を歌うと、何とはなしに心豊かな良い気持ちになりリフレッシュされます。

また司会者の祈りを聞き、その日の聖書の言葉を読み、牧師の説教を拝聴しながら過ぐる1週間を振り返り、新しい1週間に向かう「心の糧」が与えられる気がします。

 何十年か前の若いときに「教会は私たちキリスト者の出撃拠点である」と何かの文章に書いたことがあります。日曜日の礼拝で心の準備を整え、月曜日から社会に出撃し、キリスト者としての実践をする、場合によっては、キリスト者にふさわしく闘う------1週間の闘いを終えて教会に戻り、疲れた心、魂をリフレッシュさせる------若かった頃のこんな心意気や闘争心はすっかり小さくなってしまいましたが、基本的な考え方は今も変わっていないと思います。

 「神さまは私たち1人ひとりの状況に合わせて、いつも最善の道を指し示してくださっている-----その「道」をいかに知恵を尽くして発見し、選び取るか、これが私たち人間の努力課題である」というのが私の信仰理解です。この考え方は、哲学者でキリスト教神学者である滝沢克己先生から教わり、今も心の底にあるものです。

 囲碁や将棋の世界で、人工知能がプロの棋士に勝つ例が増えて話題になっています。一手・一手、最善の手を短時間で選びとり、それを積み重ねて行くことが囲碁・将棋の戦いであり、その選択力が実力です。棋士はその選択力=実力を磨くために、秀れた先人の棋譜に学び、研究し、修練を積みます。

 滝沢先生の教えは「インマヌエル(神われらと共にいます)」の神学と言われます。

神さまはいつも私たち人間の命の根元で「こう生きよ」と告げ知らせている----その声をいかに聞き分け、応答するか、それが人のあるべき働きであり、生き方である。ただしその声に、よりよく応答するためには、修練を積まなくてはならない。秀れた先人たち、特に、聖書=イエスや使徒たちの生きざま・言葉に学ばなければならないと語られています。これが「日々是好日」とするための私の座右の銘です。

 

「滝沢克己に学ぶ会」が年4回、香櫨園教会を会場として行なわれています。(次回は9月21日午後130分~)関心のある方は気軽にご参加ください。

田中 寛

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