冬木立のオアシス道路の風景は、何かスッキリしています。
私たちの教会は、葉の茂っている時は、木立に隠れて見えにくいですが、今の季節はしっかり見えています。
教会には色々な人が来られます。初めて入ってくる人、しばらく通って出て行く人、戻ってくる人、生涯をこの道で行こうと決心する人・・・。
少し教会に来て去って行かれる人のことを考えてみましょう。
聖書の中に「悲しみながら立ち去っていった人」の話があります(マルコ10章)。ある人がイエスに尋ねます。『先生、永遠の命を受け継ぐには何をすれば良いでしょうか?殺すな、姦淫するな、盗むな、父母を敬え、そういう教えはみんな守って来ました。イエスは彼を見つめて、慈しんで言われた。あなたに欠けているものが一つある。行って持っているものを全て売り払い、貧しい人たちに施しなさい。彼は悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたというのです。』
イエス様がどう思われたのか考えてみますと、「あいつはダメなやつだ。信仰よりお金の方が大事なのだ」と思われたでしょうか?
そうではないと思います。そこには、悲しみながら立ち去った彼の心をイエス様自体が感じ取って悲しみ苦しまれた姿があると思うのです。
悲しみながら立ち去って行く彼の背中に注がれているイエス様の目、そこに語りかけている声があるのです。イエス様はその人を赦し、その人をじっと見つめ語りかけられていたのです。
彼は立ち去りつつそこで振り返ってみるべきでした。イエス様が慈しみの目で立ち続けているのを見ることを出来たなら、彼は良い先生の元に戻ることができたと思います。
それは金銭の問題だけではありません。私たちは、生きて行く道で解決の見つからない重荷を多く背負っています。そして、いつもあくせくしています。ちょっと振り返ってみましょう。背中に私を生かし、愛してくださる神様のまなざしが注がれているのを感じることができるでしょう。
冬木立の十字架を振り返り見ながら、重荷をゆだねる道が備えられていることを感謝しています。
今年の教会の標語です。
『あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる』
詩篇55:23
E.K