昭和23年9月15日に芦屋市三条町で四男としてこの世に生を受けました。
団塊の世代の中心にあたります。同学年は全国で270万人(現在の新生児は95万人ほど)です。戦後の日本の急成長の主役となって70年の年月を何とか生き延びてきました。
二人の息子に恵まれ長男は1男1女、次男は2男1女合計5人の孫にも恵まれています。残念ながら、妻の百代は53歳にして病を患い10年の闘病生活で天国に行ってしまいました。今から5年と少し前の63歳のことでした。
小生それから一人の生活を始めていますが、妻の看病中にすべての家事を覚えて今日に至っています。
今年の9月15日で満70歳を迎えましたが、これからの残った人生を思いっきり楽しく、面白く生きていこうと日々考えております。
中国唐代の詩人杜甫が読んだ詩の『人生七十古来稀なり』という一節から古希と呼ばれるようになりました。人生は短く、七十歳まで生きることなど稀なのだから、生きている間に人生を楽しみたい、という意味でつかわれているそうです。
人生楽しんだもん勝ち。漫画家の弘兼憲史の本を見つけて読みだすと妙に納得できることばかりが書いてありました。人生は70歳からが一番面白い。
なるほど、この一冊の本の中身はこれからこうやって暮らしていけばよいと共鳴することが、山ほど書いてありました。
*家族や社会との関係を見直して自立する。
*現実を受け入れて自立する。
*どこまでも人生を目いっぱい楽しむ。
*何か社会に役立つことをして逝く。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』のことばを意識しつつ謙虚で周りの家族や友人社員に迷惑をかけることなく、いつもニコニコ穏やかに過ごしたいものです。
健康管理には人一倍気を遣いながら、元気で機嫌よくストレスをためずに暮らすのがこれからの残された人生です。
体を壊してしまってからでは遅いのです。計画を立て、行っておきたかった未踏の地に行く、美術館に行く、劇場に行く、映画を見に行く。とにかく今できる事を順番に実行に移すのが、これからの残された人生の設計図と思い、日々これを纏めながら楽しく過ごそうと考えております。
古希を迎えてますます楽しく生きていく心算で、頑張っています。
古河幸義