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私が洗礼を受けた理由

私は、2016年の12月25日のクリスマスに洗礼を受けました。もともとキリスト教について学びたいという気持ちはあり、大学では神学を専攻しましたが、実際に教会に足を運ぼうという気はあまりありませんでした。単純に学問として接したいという感じしかありませんでした。しかし、大学でクリスチャンの人と友人になりその考えは変わりました。それまで、自分は仏教の家で育ったのだからこれからも仏教徒として生きていくんだというかたくなな気持ちがありましたが、この友人たちがこんなに大切にしているものとはどんなものだろうという考えが芽生え2016年の春頃から、様々な教会の礼拝へ出席してみました。教会によって礼拝の形式も雰囲気も違い、はじめは戸惑うことがたくさんありました。聖書に登場する人物に日本名の人はもちろんいませんし、礼拝の中で讃美歌を歌うことも、外国的な感じで受け入れがたく思いました、しかしながら、そういったものは表面上のことにすぎないことに気づきました。確かに、聖書について知識を持つこと、また礼拝で歌うことは大切ですが、キリスト教の本質は、「愛」にありました。他人を愛し、そして神を愛することは、言葉や風習が違っていても誰にでも通じることです。私も、人間に愛することを教えられた神様を信じ、その教えを実践する人生を歩みたいと思い洗礼を受けることを決意しました。

 

 洗礼を受けてまだ日が浅く、信仰を持って生きる事やキリスト者として生きる事がどのようなことかは未だ模索中の身ですが、キリスト・イエスがその人生で示されたような生き方をしたいと願う日々です。(M.A)